名古屋発見”四間道”
名古屋街中小さな発見
2008・3・23


 名古屋は現役の時に何度も行っているが、ほとんど栄のビジネス街でした。たまに名古屋城あたりを散策したくらいです。名所などもよくしりません。今回はインターネットで知り合った絵仲間の絵画展「ネットフレンズアート展」を見に行くついでに駅前の大通り「さくら通り」を歩いてみました。目的地は地下鉄藤が丘駅なので、行きなれた栄あたりまで散策してそこから地下鉄東山線にのろうと歩きだす。



名古屋駅上に位置するツインタワー”JRセントラルタワーズ”を桜通りからスケッチしました。


 桜通のビル街を直進。しばらく歩いて、ふと左の通りに目が行く。その小さな通りの奥に白壁の蔵のようなものが見える。見てみたくなり入って行くとハイキングスタイルの人たちがぞろぞろ歩いている。そこには石の鳥居がある小さな神社がありました。その神社の前にいたボランティアガイドさんに、このあたりのことを聞いてみました。この通りは”しけみち”といって古い蔵などの建物が残っている所で「四間道」と書き、町並み保存地区とのことでした。都心地のビル街を一つ通りを入った所にこんな場所があるなんて驚きました。この大勢の人たちは名鉄ハイキング参加者で、今日は1000人くらいが参加しているという。人気スポットなのだ・・・・・



浅間神社

木花開耶媛命(このはなのさくやひめのみこと)を主祭神とした古社で、正保4年(1647)に春日井郡より勧請。境内には樹齢300年以上のケヤキがある。今はこんな街中の小さいな神社だが、元はもっと大きな境内だったらしい。


堀川沿いの古い町並みの四間道(しけみち)

名古屋城の築城は慶長15年(1610年)に始まるが、それまで尾張の中心は清洲であった。築城後、武士・町人・寺社などが町ぐるみで移動、これが「清洲越し」である。熱田の湊と名古屋城を結ぶ堀川には、水運を利用して米穀、塩、味噌、酒、薪炭などを城下町へ供給する商家が軒を連ねて繁栄してきた。商家の玄関は,物資の集散を行うため堀川に向かい,土蔵が家の裏手に作られた。
1700年(元禄13)の元禄の大火のあと、多くの町屋と寺社が焼失した。徳川吉通(尾張藩主)は、商家の焼失を避けるため、堀川沿いにある商家の裏道幅を4間(約7m)に拡張したとある。



四間道の通り



屋根神

この四間道から左へ路地を入ると、屋根神様を祀ったこの家がありました。
この屋根神さまは、津島神社・秋葉神社・熱田神宮を祭神とする。屋根の上に小さな社を祭るという形態は、名古屋独特のものである。これは疫病や火災などの恐怖から身を守るために、庶民の祈りをこめて創られた。

犬も歩けばなんとやら…予期しない小さな発見でした。